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2014.12.16

馬鹿者たち・・・わが青春の与論島

学生時代、TVのワイドショ-で紹介された与論島に魅せられて・・・

授業にも出ずバイト三昧で費用を捻出し・・・・

いざ与論島に渡航。

勿論、宿に泊まるつもりもなく野宿が大前提でしたね~。

あのCB250の相棒との無謀な旅でした。

TVで紹介していた簡単に獲れてしまう伊勢海老などは全て仕込みだった事は島に行って初めて知った訳で・・・しかし、時すでに遅し。

まるで無人島の様に紹介されていた与論島は観光客で溢れかえっていたし。

それが嫌で集落もない様な静かな浜を探し、そこで見つけた洞窟でサバイバル生活。

魚図鑑と睨めっこしながら見た事も無い色鮮やかな魚を食べ・・・・。

リアル黄金伝説でしたね。

そんな毎日を送る中、浜に釣り来る地元の子供たちと仲良くなり・・・・

珊瑚の中に潜っているシャコ貝や夜光貝、そして簡単な疑似餌でガラ(ヒラアジ)が釣れる事、夜中に潜れば伊勢海老が獲れる事等を教えてもらいました。

当然、食事は日に日に豪華になって行きました。

それでも資金はギリギリ、冷たい飲み物なんて買う余裕もなかったし。

水は風化珊瑚にしみ込んだ雨水が湧きでる場所を確保し、これが結構冷たくて美味かった。

しかし、偶然とは奇なるものでレンタルバイクショップをやっていると言う島の人と出会い動かないバイクの修理を請け負って資金調達♪等など。

ここでは書ききれない程色んな事が有りましたね。

そんな浮世離れした毎日が続いていましたが島のお盆を迎えた頃から・・・・

観光客も少なくなり静かな・・・とても静かな島に成って来ました。

ある日、島の漁船が全て丘に上げられていました。

その日は潮の流れも異常に速く食料調達は難しい状態で、この事と漁船が丘に上がっているのは何か関係が有るのかもしれない・・・とは思いましたが・・・・。

その日の夜、洞窟の前の砂浜から眺められる満天の星を肴に地元の方に頂いた黒糖焼酎を飲んでいました。

そして真夜中の事・・・・

ワイワイガヤガヤと人の騒ぐ声が聞こえて・・・・

10数人の老若男女が波打ち際を駆け足で通り過ぎて行きました・・・・。

何じゃ?こんな夜中に???

相棒と顔を見合わせ・・・そんなに酔ってないよね~なんて。

しかし、相棒と話をしてみると・・・くい違いがありました。

相棒は子供はいなかったと言い、人数も5~6人だったと・・・・。

そんな馬鹿なと二人で走り去った人達を追い確認するも既に姿はなし。

そしてはっとして顔を見合わせ、あの人達が走り去った波打ち際を確認すると・・・・

その時は満潮で位置的には腰ほどの深さが有りました・・・・何!?

とても気にはなりましたが確かに人だったし、普通に人だった・・・・。

まぁ何だか不思議だとは思いましたが酔いも回って洞窟で眠り込んでしまいました。
そして、事件は起こったのです。

寝ていると水を被せられた様な感覚で目が覚めました。

寝ぼけた眼に写った光景は大きな波が荷物をさらって引いてゆく・・・

あり得ない光景。

来る筈の無い波が・・・・

しかし、はっと我に返り波を被っても尚も寝ている相棒をたたき起し波にさらわれていない荷物を掴み避難・・・・

しようと思ったが既に洞窟の前は満ちて来た海面と波に完全に封鎖され逃げる場所は無い。

後ろは風化珊瑚の断崖絶壁です。

波は更に大きくなりうねりを伴って押し寄せてきます・・・そうこれは台風。

漁船が丘に上げられていた理由がやっと分かりました。

兎に角、断崖絶壁をよじ登り脱出を計ります。

しかし前が見えない程の白い大波が容赦なく打ちつけてきて絶体絶命。

風化珊瑚にしがみつき耐えて耐えて、波の打ち寄せる合間に更によじ登る。

駄目かもしれないと思った瞬間でもありました。

しかし、ラッキ-な事に人が数人は入れるほどの窪みが有りその中に避難。

高波はそれでも打ちつけてきましたがパワ-は幾分緩衝され何とか耐えれるレベル。

それから何時間が過ぎたでしょうか・・・・・

先ほどまでの嵐が嘘の様に収まり、朝日に照らされた海は嘘の様に穏やかな表情に成っていました。

助かった・・・そう思いましたね・・・つくづく。

しかし荷物は全て流され、帰りのフェリ-のチケットも・・・・・。

砂浜には自分達が使っていた金属製の食器がボコボコに成って打ち上げられていました。

茫然自失とはこの事です。

勿論、一文無し状態。

こりゃ警察にでも相談するしかないと思いながら無言で海を眺めていました・・・

って気が付いたら本当に声が出なくなっていました。

きっと考えられない程の大声を出していたのでしょうね。

そんな時、地元の方から「どぉしたの~」って声を掛けられ・・・・

相棒が一部始終を説明。

兎に角家へ来いと言って頂きました。

迷う事無くついて行くしかない訳で・・・・

招かれたウチは民宿を営んでおられて、飲み物とおにぎりを出してくれました。

一銭もない身分では支払いなどできないので手を出さずにいたら・・・

「さっき聞いたから、お金要らないから食べなさい」・・・・って。

「で、どうやって帰るの?実家に連絡してあげようか?」って聞かれましたが

大学に通っている筈の孫が遠く南の島で何やってるのだと婆ちゃんに心配かけるのも・・・

なんてこんな事態に成っても思っていたのだと思います。

黙っていたら・・・「じゃあ暫くウチを手伝ってくれるかな?」って話に成り・・・

渡りに船だと飛び付いた次第です(^^ゞ

それからは台風で被害を受けた家屋の修理。

なにしろ現役の建築工学部、しかもバイトで建築業は手なれたものでした。

車検の切れたマイクロバスを運転して宿泊客の送迎をしたり、朝夕食の配膳をしたり。

しまいにはメニュ-を考えたり宿泊客を対象にしたイベントを打ったりと・・・・

海に足を運ぶ事も無くひたすら働いていました。

そして帰りの旅費の目処もたち、島を離れる日がやって来ました。

送別会なるものも催して頂き、民宿のおじいおばぁからも来年もまた来いって。

私が奄美を第二の故郷としている所以の始まりでもありました。

ところで、台風に遭遇した夜に見た人達はいったい何だったのか・・・・・

それは翌年、与論に渡航した際おじいおばぁから驚愕の事実を聞かされることになりました。

まず与論島は昔から風葬という風習と洗骨祭という習わしが有る。

風葬とはご遺体をそのまま洞窟などに納め自然風化させると言うもので洗骨とは砂浜に埋葬する葬儀方法なのです。

私達が居た洞窟はその様な風習が近年まで残っていた地域でさらにその洞窟も嘗て風葬に使われていたと言う事。

そして、風葬で弔われた魂は島の盆の頃その場所に海の上を渡って帰ってくるらしい。
なので島の人々は盆は海にも近づかず、船なども丘に上げるのだと。

さらにその魂を見てしまうと、生きたまま海に呑まれ黄泉の国へ連れて行かれてしまうと言う言い伝えが有ると言う。

いやいやいや・・・・いやいやいや・・・・知りたくなかったし(^_^;)

私が見たのはきっと・・・観光客が騒いでいただけ?・・・ではないかと。

だったら良かったのになあ。

コメント

将に伝説ですね!。
私も流石に無一文にはなりませんでしたが、かなり危ない目には遭ったこともあったような(^_^;)。流石にこの歳では、君子危うきに近寄らずですが、reiraさんには まだまだ伝説が出来る余地がありそうな・・・(^_^)v。

まるにさん、おはようございます^^

いやいや、もう余地はありませんよ。

今あの状態に遭遇したら間違いなく黄泉の国です・・・・。

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