今日から鈴鹿8時間耐久レ-スのフリ-走行が始まりますね。
鈴鹿の耐久と言えば1984年の鈴鹿4時間耐久レ-スはバリバリ伝説の第一部の舞台にも成っていましたね。
当時、私はバリバリ伝説の存在を知らず、後でその漫画を読みました。
郡と秀吉が鈴鹿4時間耐久レ-スで優勝。
実は・・・1984年の鈴鹿4時間耐久レ-スに私も出場していました(^・^)
当時、TZ250でN250クラスを走っていた私にその年の5月に発売されたFZ400Rで4耐に出ないかと・・・
ヤマハ発動機さんから声が掛かり二つ返事で了承(当然ですよね)
ペアを組んだライダ-はやはりウチのチ-ムでF3クラスを走っていたヤマハの社員さんでした^^
エントリ-台数が700に迫る大激戦区でしたね。
しかもFZ400Rはホモロゲ-ションの関係で予選通過タイムは勿論クリヤ-しなくては成らない上に・・・
更にFZ400Rの全出場台数の上位2台までとペナルティ-が科せられました。
それでも何とか決勝に駒を進め、決勝のゼッケンナンバ-は偶然にも62番でしたね。
チ-ム名はREIRA-RACING北九州
グリットを埋めるのは名だたるチ-ムと売り出し中のス-パ-ノ-ビスと呼ばれていた面々が殆どでした。
中には辻本聡さんなんかも名を連ねてましたね。
私は草レ-スでZ2を走らせて以来の4ストロ-ク、FZ400Rに乗ったのは鈴鹿入りの一週間前。
練習と予選でバイクになれて行くって感じでしたね(^^ゞ
それでもレ-ス2時間30分当たりでは2位にまで浮上する頑張った走りが出来ました(プチ自慢)
しかし・・・レ-ス終盤は雨が降り出し・・・・ましたが・・・・
チ-ム監督を務めて頂いたヤマハ発動機の課長さんが雨は止む、タイヤはこのまま行けという指示でスリックでウェット走行。
私達以外の全車がウェットタイヤ。
当然見る見る順位は落ちて行きますが・・・30位あたりまで転落。
しかし相棒と交代した直後から雨は止み路面は見る見る乾いて行き相棒の怒涛の追い上げが始まりました!
結果は8位でフィニッシュ!唯一決勝まで生き残った1台のFZ400Rのデビュ-レ-スと成ったのであります。
でもね・・・・バリバリ伝説の第一部を穴があくほど観ても・・・私ら走っていないんですね~~~残念!
バリバリ伝説第一部
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