2016.08.06
最後のGETTAR 懐かしい風景その3
先日、某タイヤメ-カ-の方々と久しぶりに一献かわしました^^
懐かしい話といえば最後のGETTAR。
1995年の夏、YOKOHAMAのMCレ-シングとしては最後となるレ-スを走りました。
この時は既に横浜ゴムはモ-タ-サイクル事業から撤退しており、私はGETTARの幽霊と呼ばれていたりなんかしてました。
1994年にモ-タ-サイクルタイヤ事業からの撤退を公式に発表した横浜ゴム、撤退の事は一年近く前から聞かされていましたが開発部隊も私も最後の日まで開発は全力で行うと心に誓っていました。
そして最後の最後・・・GP250用のプロトタイプが完成したのは撤退直前。もう市販されることのないRACINGスリック。
しかし、開発部隊はこのタイヤが実際にレ-スを走る姿が見たいと・・・・そんな話を涙ながらに話していました。
勿論、私も同じ気持ちだったので・・・・
私がこのプロトタイプで1995年シ-ンズンを戦うと申し出ました、会社的には機密保持の観点からも難しいという話になりましたが・・・・開発陣の熱意と当時の設計部のリ-ダ-の決断で後処理という形で事は実行されました。
横浜ゴムとの開発契約も当然更改はなく、何の支援もないままたった一人のテストが始まりました。
モ-タ-サイクルタイヤ担当の設計部隊も解体、辞職する人や配置転換になった方など皆さんバラバラになりましたが。
きっとどこかで見ていると孤独なレ-スを走り続けました。開発コ-ドY69・・・何があっても分かっても二度と手を加えられることない幻のGETTAR、最後のGETTARはこの私が看取りました。
因みに、ある雨の全日本選手権で群雄割拠のファクトリ-チ-ムの中にあって上位4番目のタイムを記録したのは撤退後2年目のGETTARレ-シングレインでした、無論市販レ-サ-の中ではトップタイム。
まぁライダ-は私ではなく、ウチの美根くんでしたけど・・・・。懐かしい風景、やり切った感はありましたね。
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学生時代から社会人の初めまで乗っていたGSX750E(いわゆる弁当タンクですね)では、確か横浜タイヤを一時はいていました。ダイヤの形をしたパターンだったかな。当時はK300,TT100の全盛期、タイヤサイズも16インチ化が一気に進んで、19インチのタイヤは少なくなりつつあったかな~。
今、あのころのタイヤで走ったら、第一コーナーで転倒必至でしょうね。
良い思い出話有難うございます。
Posted at 2016.08.7 9:00 PM by まるに
まるにさん、おはようございます。
当時19インチの設定があったのはスピ-ドラインだったと思いす。
しかしもダイヤの形、ひし形のパタ-ンといえばゲッタ-oo4のような。
何しろウン十年前の話ですもんね~、私も担当したタイヤは覚えてますがそれ以外のタイヤの記憶は曖昧です(‘◇’)ゞ
Posted at 2016.08.9 6:12 AM by REIRA-SPORTS